「生存のエシックス」のために―「表現論理」の意味を考える―

岩城見一
(哲学、京都大学名誉教授、京都国立近代美術館前館長)

京都国立近代美術館 展覧会「Trouble in Paradise/生存のエシックス」
 (会期:平成22年7月9日(金)〜8月22日(日))「展覧会カタログ」収録

はじめに

この小論は京都市立芸術大学創立130周年を記念して、京都国立近代美術館で開催される展覧会、「生存のエシックス」のために書かれる。
この展覧会は、これからアートはどのようなものになりうるかということを、諸々の視点から議論する催しになる。だから作品展示以上に美術館を訪れる人をも含む参加者全員の議論が欠かせないものになる。美術館はそのような議論が活発に展開されるための場となる。だがこれは決して特殊なことでも、来館者を無視した一美術館の独りよがりの身振りやパフォーマンスでもない。「芸術作品」自体、表現を通して私たちの生き方、認識の仕方に関わるもの、まさに「生存のエシックス」、広義の「生きる作法」を提案してきたし、これからも提案するものだからだ。「作品」は単なる「もの」ではない。それは人々の話題の場となるもの、その意味での「事柄自体(Sache selbst)」(ヘーゲル)である。作品は「問題提起」なのであり、だから議論が必要なのだ。
本展覧会の副題は、“Trouble in Paradise”となっている。パラダイスにはトラブルがつきものなのか、そこにはトラブルが隠されているのか、いやパラダイスこそトラブルなのか、パラダイスゆえのトラブルなのか、トラブルこそパラダイスなのか、色んな見方が出てくるだろう。だが少なくとも求められているのは、「トラブルのないパラダイス」ではないだろう。
私は「楽天家」だ。だからトラブルにパラダイスを見出すだろう。また「生存のエシックス」で求められているのも「狭義の倫理」ではなく、私たちの生きる作法といった広義の「エシックス」の提案だろう。それには「表現」が大きく関わっているのではないか、この視点から「行動障害」、「脳梗塞」、「アルツハイマーによる認知症」に関する研究報告を参照し、「表現」を「生存のエシックス」の議論に組み込むこと、これが小論での私の試みになる。

1. 行動障害

まず「行動障害」に関する研究書(片岡 2010)から。
本書は四章から成る。「行動障害」を伴う三人が、両親、保育士をはじめとする支援者との関わりの中で、「自己」と、「自己」を可能にする場を作り出してゆく過程を記述した三つの章、そしてこれらの事例に基づいて「自己」の可能性を支える場を「領分」として捉えるべきことが提唱される最終章の四章だ。
第1章「街でみかける〈彼ら〉」では、著者が「心身障害児通園センター」勤務時に出会った一人の男性(「ユキさん」1969生)の行動が報告される。かれは必ずプラットホームの停止線の前に立って電車を待ち、「ハンナナ」と叫びながら乗車し、その声によって空いた扉の前に立ち、次いで二駅前にトイレに入り、三駅目で下車してゆく(pp.6-7)。
この章のタイトルが「街で見かける〈彼ら〉」とあるのは、標準的(normal)な行動者から見れば異常に見える行動を繰り返す人々が時折見かけられるからだ。
このような行動への人々の反応は様々だが(筆者は大学でアンケートもとっている(pp.10-12))、心理学を専攻し、障害者に関わっている著者は「ユキさん」の行動をより詳しく調べることになる。その結果わかったのは、「ユキさん」は「自閉症」者であり、昭和56年開設の「障害者授産施設」に通い、シール貼りや電動螺子回しによる電気部品組み立ての作業をしており、その仕事は非常に精確だということ(p.18)、多少「自傷行為」があり、「こだわり」も過度に強いため日常生活には支障が生じうるが、施設は「かれのプライドのもてる居場所」、「するべきことがある場所」になっているということだ(pp.18-19)。
家庭生活も報告されている。「ユキさん」は土日に行なわれる「知的障害者のためのデイサービス」に通い、そこで提供される催しに参加し、また昼食もスーパーで自ら選んで購入し、しかも出納簿をつけている(p.19)。また土日には地域の青年学級にも行き、バス旅行に参加し、さらには自らが通う施設において平均月一回開催されるイベントやOB会にも出ており、これらのスケジュールは記憶し自分で組むことができる(pp.20-21)。「自閉症」者にはカレンダーに興味をもつ人が多いことも指摘されている(p.21)。
なお「ユキさん」の言語能力に関しては、「単語程度の会話」しかできないが、読み書きは「それ以上」だという(p.12)。
「行動障害」の一般的な理解に関しても触れられている。「強度行動障害」は1990年代以後「行政用語」として一般化し、「判定基準表」も出ている。そこに示された行動特徴を列挙すれば、「過度の自傷」、「過度の他傷」、「激しいこだわり」、「破壊行動」、「睡眠の障害」、「食事関係の強い障害」、「排泄関係の激しい障害」、「著しい多動」、「著しい騒がしさ」、「処遇しがたい結果をもたらすパニック」、「恐怖を与える粗暴」である(pp.27-28、一部筆者の書き換えを含む)。「行動障害児研究会」の調査報告によれば、「強度行動障害」は施設、擁護学校在籍者の20〜10分の1であり、2005年度では、54万7千人中の2万7千人になるという(p.29)。
以上のような事例調査と「行動障害」に関する一般的規定を踏まえて著者は本章をまとめている。
「行動障害」は「自閉症」と「知的障害」とがその根底にあり、「他人からの情報受信が苦手」なことと、「環境からの情報受信に偏り」があることによって生じる。このため自分を取り巻く世界は「意味なくうごめき予期できない世界」になる。世界はストレスを与える怖いものになるので、「通常とは異なる適応行動」を取らざるをえなくなる(pp.29-30)。
ワロンの「情報と知覚活動との拮抗関係」という考え方も参照されている。過度の情報には過度の行動反応が起こるという考え方だ(p.30)。また「行動障害」は「条件付けのメカニズム」を利用することで除去されるという見解もあるが、この見解の問題点も指摘される。「報酬」によって「標準的」な行動に導く「条件付け」においても、人によっては他人の注目(「報酬」)を得るために一層危険で過激な行動に出ることもあるからだ(p.31)。
このような困難な状況の中で、「ユキさん」の例は「行動障害」の緩和を考える上で一つの可能性を示唆するものだったわけである。この章にはすでに著者の基本的な立場も示されている。先に見た、「かれのプライドのもてる居場所」、「するべきことがある場所」を共に努力して築いていくことが、「行動障害」を伴う人と関わるときの大切な課題になるわけだ。この関わり方は特殊な「病」を患う者、すなわち「患者」への関わり方ではない。実際著者は「患者」という語や「病」という語を自覚的に避け、また「健常者」という語も用いず、献本に添えた挨拶状では「定型発達者」という語を用いている。
第2章「点字ブロックが怖い」では、「揺れる草」や「点字ブロック」を怖がり、このため外出を拒み、外出しても目を閉じ介助者の腕にしがみついて動けない「ナオさん」の変化が辿られる。かれは家庭でも横になって眠れず、トイレの便座で坐ったまま眠る状態だった。だが、6年後には軽い作業をこなし、土曜日には映画館で映画を楽しみ、帰りには喫茶店や回転すし屋で食事ができるようになり、夜は布団で眠るようになった(p.36)。この変化のプロセスが辿られる。
生後半年になった頃、かれはミルクの温度に過度に敏感で、しかも哺乳器を自分で持つことにこだわり、抱っこを拒んだ。1歳過ぎても言葉が出ないため大学病院で診断を受けた結果、「自閉症」という診断が下された。2歳の頃である(p.50)。
保育園には午前は母親が同伴し、母親が他の子と交わることで、それを介して他の子どもたちとの環境に徐々に慣れることができた(p.54)。
恐らくどの親も同じであろうが、そして私自身そのような事例を何度か見てきたが、「自閉症」や「知的障害」といった診断を下された子どもの場合でも、親は他の多くの子どもたちの通う普通の学校や塾にわが子を入れ、かれらと同じように育てたいと願う。
「ナオさん」の両親も同じである。だが小学校はそれを拒否した。このため「ナオさん」は「養護学校」に行くことになるが欠席が増え、親の家庭での努力にもかかわらず状態は悪化し、高学年になると「点字ブロック」や「揺れる草」を怖がり、人にしがみつくなどの激しい行動が目立つようになった(p.57)。著者はその原因を安易に推測することを避けているが、敢えて推定すれば、養護学校が自分の安心できる場でなくなった「ナオさん」には、家の外は異質な世界として現われるようになり、このため「点字ブロック」や「揺れる草」は、自分に襲い掛かってくる外部世界の象徴となったのではないか。
「中学校」時代の「ナオさん」の行動は一層悪化した。母親がしつけを強化したことにより家で食事をとり、横になって寝ることができなくなり、母親への粗暴な行為が繰り返され、この頃プラスチックへの嫌悪も顕著になった(p.59)。
「高校時代」になると、担任と親とのコミュニケーションも円滑になり、椎茸のホダ木を運ぶ作業を通して人にしがみつく癖は是正されてゆく。担任は「理解力が高い」ことも感じ取っていた(p.60)。
デイサービス施設の時期になると、すでに見たような行動の変化が徐々に現われてくる。施設ではスケジュールカードの利用、リクライニングチェアの利用等の工夫によって、時間をかけて行動の変化を促してゆく試みが行なわれたからだ。著者が映画館までの行動を共にしたときの模様も報告されている(p.62以下)。
ただしデイサービス施設におけるこの劇的とも言える変化の背後には、施設の職員のきわめて慎重で忍耐力を伴う支援があった。この施設が開所した時期(平成11年)には、「ナオさん」は迎えの車を見ると眼を閉ざし嘔吐し、施設に着いても車から降りようとしない状態だった。しかし職員は無理強いせず、車の中に共にとどまりお茶と菓子で付き合い、次いで施設近くにテーブルを置き、「ナオさん」が車から出てそこを自分の居場所にするように導いた。居場所が施設内に移ってゆくように時間をかけ工夫を凝らしながら「ナオさん」との信頼関係を育てたのだ。やがて施設内の廊下の薄暗い場所が安心できる「居場所」になり、そこを基点にして、他人のいる「食堂」にも出向いて食事をとり簡単な作業をすることができるようになったというのだ(p.39以下)。
著者はここでも「居場所」の大切さに触れ、それに基づくことで「自分で自分をコントロールできる」ようになることを指摘している。
第3章「びっくり箱」では、これまで見た二人よりも著者が一層親密に関わった子ども(「リク君」)の事例が報告される。
著者は2歳3ヶ月を過ぎた頃の「リク君」に保育所で出会い、「視線が合わず」、他の子どもたちと遊ばないこの子が気になり、それ以後関わるようになった。「7月」のことである(pp.77-78)。その後著者は保育所を訪問し、カンファレンスで相談にも乗り、また実際にこの子と交わる中で、行動の変化を実見することになる。
「リク君」の生後の変化も記されている。1歳過ぎには「パパ」、「マンマ」、「ワンワン」等が話せたこの子は、やがて忘れ、言葉が話せなくなった。「折れ線型」と呼ばれる現象だ(p.83)。
最初の出会いの後の保育士の報告を聞いた著者の助言により、9月に親が病院を訪ねたところ「自閉症」の診断が出された。次に11月に訪問したときも様子の変化はなく、著者は「行動障害的様相」を予感し「人とのかかわりを築いていくための具体的方策」を提案する。それは「リク君」と保育士とが「二人だけで過ごせる部屋」の提案だ(p.80)。著者は同時に解決の「糸口」も探っている。著者自身が「リク君」に何度も行なった「抱っこー、ぐるぐる」によって子どもは著者を、そしてそれに続いて試みた保育士の顔を見るようになったという(p.81)。「リク君」が他者を認知し交わる糸口が見出されたわけだ。その後保育士の努力により、「イナイイナイバー」や「カクレンボ」をし、人の顔を見、また人を捜すようになる。翌年4月からは担当保育士も変わり、また療養教室担当保育士も加わって「お絵かき」や「ままごと遊び」、「びっくり箱」作りができるようになり、他者とのコミュニケーションが円滑になっていき、家族関係も変化した(p.85以下)。こうして「作る喜び」を知り、「自分と人と対象」とからなる「三項関係」が成立した(p.92)。家庭での兄姉との交わりの中で、単語ばかりだとしても「言葉」を話せるようにもなったという(p.94)。
「…周囲の人や子どもと関係をとりもって、その意図に合わせながら遊ぶことが(「自閉症」の子どもにとって)どれほど奇跡的なことであるか…。これが人としての振る舞いや文化、ことばを継承していくことの基礎になる学習を可能にしている」(p.95、括弧内評者)。
本書では、「自閉症」、「知的障害」に起因すると思える「行動障害」をもつ三人が、親や施設の職員、保育士、担当員、作業所の職員、さらにはこのような障害に関わる研究者(本書の著者)との親密な交わりの中で安定した自己の足場を築き、他者とのコミュニケーションの可能性を見出し、それによって自己の行動を「コントロール」できるようになるプロセスが、著者の実践的な関わりに基づく観察を通して明らかにされている。自己は単独で成り立つのではなく、このような他者との関わりの中で形成されてゆくということ、これが実践的交わりを通して得た著者の基本的理解であり、結論部となる第4章では、このような理解に基づいて「領分」という用語が提示される。
第4章「領分を築く」では、この「領分」という用語を採用する正当性を示すために、従来の理解に検討が加えられる。
著者はまず、1990年以後普及し、以後様々な集まりで議論されてきた「強度行動障害」に関し、今それへの取り組み方を考える時期に来ていると指摘する(pp.100-102)。
著者は従来のアプローチを「行動的アプローチ」と「関係開発的アプローチ」の二つに分ける。「行動的アプローチ」は「空間構造化」と「時間構造化」との両面における行動障害者の「環境構成」を目指す。例えば「ナオさん」がデイサービス施設の職員の「ていねい」な関わりにより、車から次第に施設の一定の場所へと自分の場を移し、施設内に自分の居場所を築いたことや(p.39以下)、筆者が保育所で「リク君と保育士とが二人だけで過ごせる部屋」を提案し成功したのは「空間構造化」の例と言えよう(p.80以下)。また「ユキさん」にスケジュール表を与え、やがてかれが頭の中に「カレンダー」を作りそれに従って行動できるようになり、また毎年年賀状を決まった日に購入し作成し、投函するようになったのは「時間構造化」の好例であろう(pp.20-21)。周囲の協力によってこのような「構造化」ができたことで、かれらは自らの行動を秩序づけ、自分の為すべきこと、希望することを実現できるようになったと言える。それまでの混沌とした不安定な世界が明瞭で安定した世界に変わり、それにつれて自己の行動の意味も明確になったのだ。
これに対して、「関係開発的アプローチ」は、支援者との「信頼関係」に基づく「他者理解の促進」を目指し、そのための「個別的関係」を重視する(p.107以下)。
著者によれば一方は「目に見える行動の変化」に注目し、他方は「その背後に仮定される発達していく内的心理構造」を重視する。このためこの二つのアプローチは時として対立し、互いに批判しあうことがあるが、両者は「両立」しうるし、また両立すべきものである(p.114)。この指摘は正当だ。実際本書で報告されている三事例では、両方のアプローチが導入されることで好結果が得られているからだ。明確な構造化への導きと、それを実現するための「ていねいな」接し方、これはあらゆる人間関係にとってもいずれも欠かせないことだろう。
さらに「領分」という捉え方を提起するにあたり、著者は「自己実現」と「居場所」、さらには「自己決定」という考え方を取り上げる。
「自己実現」はアメリカの心理学者マズローが提示し、日本でも一般化した、「自己の潜在的可能性の最大限の発揮」をさせようという考え方だが、著者はそれに「違和感」を覚える(p.119)。著者によれば、この観念には最初から「明確な自己」が前提されており、それは今日もよく耳にする「自分探し」と「ほぼ同義」である(p.120)。実際「自己実現」や「自分探し」という言い方はある種の決定論的響きを伴っている。というのも「潜在的可能性」ということ自体、自己の内部に前もって与えられている能力というニュアンスを伴い、個々人を超えた「あるべき普遍的自己」のようなものが前提されてしまっているように思えるからだ。
これに対して「自己は他者との関係なかで形成されてゆく」存在であり、「自己」とは形成的、過程的なものだということが強調される(p.120)。要するに「自己」とは閉ざされることのない、他者との関係に開かれた存在、その関係の中で次第にかたちを取ってくる、いわば前もって規定できない存在だというのが著者の主張であろう。「ユキさん」、「ナオさん」はまさにそのような「過程」の中で生きている存在、それゆえ「より根底的な活動に関わっている」存在なのだ(p.120)。
「自己決定」という最近流行った考え方にも疑問が呈される。そこには決定すべきことを前もって忖度し押し付ける危険、「パターナリズム(父権主義)」が潜んでいるからだ。大切なのは「本人による意思決定を引き出すこと」にあるのだ(p.122)。
「自己」を他者とのかかわりの中で形成されてゆく存在、いわば前もって規定できない開かれた存在とみなす著者の考え方は正当だ(岩城 2006、第2章「自己の無規定性」特に第2節も参照)。「自己」についてのこのような理解のゆえに、著者の求める「行動障害」者への「ていねいな」関わり方は、かれらに関わる者にとって最も大切な課題になる。「自己」はそれぞれ異なる過去をもち、それに支えられたり反発したりしながらそれぞれ固有のかたちで変化する存在なので、一般法則を振りかざした教導は、それがいかなる善意や愛からなされるにしても、当の本人にとっては強制になってしまう可能性を免れ得ないのだ。
著者が「居場所」に問題点を見るのは、それがスタティック(静的)な、つまり変化のない安住の場といったものを想起させるからだろう。重要なのはそこにただ戻り、また「たまっている」場ではなく、なすべくことがそこで組み立てられてゆくダイナミックな「拠点」である(p.121)。これが「領分」と呼ばれる。
「領分」とは、「人と人との間にいろいろの形で存在できる」、「スタティックではなくダイナミックなもの」だ。これが「居場所」と「領分」とが敢えて区別される理由のようだ。「居場所」も実際には単に与えられた「静止的(スタティック)」な場ではなく、その都度の活動を通して手に入れられ、築かれ、そこに生きる者によって作り変えられてゆくものなので、「領分」と同義だとも言える。ただ「領分」という用語が選ばれたことには、「ダイナミック」に形成される場、そこから自己の行動が組み立てられる「拠点」という意味とともに、それが一つの「境界」をもったものだという意味もこの語は示唆するからだろう。
「領分」のもつ「境界」が強調されるのは、「領分」に基づく行動と、「境界」のない「単なる行為」とを分けるためだ。
「向かい合う、あるいは並んで在る他者との関係がなければ、そこには境界が存在し得えず、したがって領分もありえない。それは誰のものでもない単なる行為となる(p.123、傍点評者)」
だから「行動障害」によって生じる「自傷」や「他傷」などの行為は「領分」に基づく行為ではないということになる。それは明瞭な「他者」との関係が欠落していることから生じる行為、「より深い苦しみから逃れるための(p.123)」行為だというわけである。同様に自動的、強迫的に同じ行動を繰り返さざるをえないような状態、「他者とはまったく無関係に行なわれる行動」も「領分」ではない(p.123)。「領分」とは他者との交わりの中で形成された私自身の場なので、「領分となる活動は、繰り返し繰り返し営まれ、楽しまれる。領分があるのでかれらの活動は充実している(p.122)」。「領分を築けたとき、その人は生きていることを実感する(p.123)」。
「領分」の形成という点に、知的障害や行動障害に関わる「支援」のあり方の「一つの目安」も求められている。
「(支援を受ける)本人が自分はこれだという領分を人との間に築けているかどうか、これが本人中心の支援であるかどうかの一つの目安になる(p.126、括弧内評者)」。
だから「パターナリズム」的な一方的支援や教導はうまくいかないのだ。そこには「支援者」や「教師」自身の自己変革はないので、「支援」は支援される者にとって「強制」、押し付けになるのだ。長い時間をかけた「ていねい」で「繊細な」関わりの中で、支援される者自らが自己の「領分」を形成していけるように協力を続けること、これが最も困難だが、最も大切なことなのだ。このような努力は、同時に支援者自身の「領分」の形成にもなるわけだ(p.129)。これはすべての人間関係に言えることだろう。「支援する者」と「支援される者」、「教える者」(教師)と「教えられる者」(生徒)、「育てる者」と「育てられる者」、すべてが相互に形成しあう関係にあるのだ。
以上が、多少私の考えをも含めながら辿った本書の概要である。本書は「行動障害」の事例報告であるとともに、支援や教育のあり方、さらには人間の生存の可能性についての一つの提案になっている。しかもこの提案は、この分野での有力な理論をそのまま適用しようとするような単に観念的な提案ではなく、具体的な提案になっている。それは、「行動障害」、「自閉症」、「知的障害」の現場での著者自身の実践的な経験の中で確固としたものになってきた信念に基づくものなのだ。
私たちは本書から「人間の生存」に関する大切な視点を手に入れることができ、またさらに進んで議論を展開してゆくことができるし、またそれを私たち自身が具体的なかたちでしなければならないだろう。
いくつかの論点を挙げながらそれを考えてみよう。
まず提案された「領分」についてだが、この用語は外国語では示されていない。例えば英語で「領分」はどのような表記なるのだろうか。手元の簡単な電子辞書(Canon Intelligent Dictionary IDF-2200E)を引くと、“territory”と“preserve”の二語が出てくる。この二語では“preserve”の方が提案された意味に近い。“territory”は「領分」という意味ももつが、一方で「領土」、「縄張り」といった、意志的であれ本能的であれ他者を闘争的に排除して守る場所という意味が強く、また他方では「地域」といったニュートラルな意味をもち、いずれにしても、「他者」ととともに「築き」、そこに居ることが「楽しまれる」といった意味や、他者との交わりの中で形成され、またそこで「自己」が形成される場になる、という意味は稀薄だ。
これに対して“preserve”は、「(神、人が)(人、動物などを)守る、保護する」、「維持する」といった動詞に基づき、「保護地域」、「領分」、「領域」という意味をもつ。そこに住まうことは、単に自己の意思的な行為によるだけではなく、他者による「保護」も関与しているという意味がこの語には含まれている。文例には、“May Heaven preserve us from danger!(神様が危険からわたしたちの身を守ってくださいますように)”、“Saints preserve us!(おやおや、これはこれは=聖人たちよ、わたしたちを守り給え)”が載っている。これもヒントになろう。「領分」は自己の意思を超えた他者の善意からの関与に支えられることでかたちづくられてゆく。筆者が「領分」という語に篭めたこのような意味を、“preserve”の文例は教えてくれる。この場合「神」や「聖人たち」は特定宗教の特定の「神」や「聖人」である必要はない。特定の行動に拘束された「自己」をそこから解放し、より豊かな自己へと開くことを助けてくれる他者はすべて、そのような自己にとって「神」であり「聖人」だからだ。そして「他者」をこのような「神」や「聖人」として認めることができるようになり、心を開いてそのような他者に交わることができるようになるということが、特定の閉ざされた行動から出ることができ、自己が自己を「コントロール」できるようになるということなのだ。
著者は「領分」という用語を断定的に採用しようとしてはいない。むしろこの用語が適切か否かが繰り返し問われている(p.126-32、あるいは献本に添えられた筆者の挨拶文)。ただ用語は具体的な規定によって意味をえる。だから私たちも本書に篭められた意味にしたがってこの用語を自分たちの経験に即して理解し、共有すればいいだろう。そのときには、さらに進んだ問いが出てくることになろう。

2. 「表現論理」の習得: 行動の基盤形成

本書に示されたように、「領分を築く」ときに大きな役割を果たすのは他者との関わり、「コミュニケーション」だ。この点で重要なのは「表現」能力とその展開であろう。
上に見たように、「行動障害」の状態では「他人からの情報受信」がうまくいかず、「環境からの情報受信」に「偏り」が生じる。そのような状態に囚われた人には、自己を取り巻く世界は「意味なくうごめき予期できない世界」となり、世界は怖く、強いストレスを与えるものになり、このためにこの人は「通常とは異なる適応行動」を取らざるをえないことになった。
「強度行動障害」の特徴とされる激しい「自傷」、「他傷」等々の行動は、そしてまた「嘔吐」も、襲い掛かってくる「意味なくうごめき予期できない世界」に対する本能的とも言える反応、捉えがたく恐ろしい世界に何とか立ち向かおうとする反応、あるいは無意識的拒絶反応だろう。外に出たら「人にしがみつき」、「身動きできずに」、「目を閉ざす」のも、そのような無意識的拒絶反応としての表現活動の一現象だろう。この時点でも特定の「表現活動」は行なわれている。これは子どもの「殴り描き」の最も初期のあり方に比較できる。このとき表現されているイメージは、意味をもつ世界を、周囲から際立つように切り出すことでできた世界だ。少し長い引用になるが、「表現」の意義を理解するためにかつて書いた文章をここに取り出しておきたい。そこで論じた「表現」の役割は「生存のエシックス」を考える上でも鍵になると思えるからだ。

〔子どもの「殴り描き」が、単なる手の動きの「痕跡」ではなく、「表現」として実現される場合にも、それはすでに特有の論理、イメージ実現の論理に支えられている。だから「殴り描き」においても、少なくとも二つの、よりくわしくは三つの論理(技術)の差異が見てとられねばならない。第一は、ただ手が画面上で偶然に動いてできる痕跡。第二は、はっきりと一つの意味をもったものとして実現されるもの。第三は、はっきりとそれの内部とそれの周囲とが境界線で分けられる場合だ。
たとえば第二の場合の技術を考えてみよう、画用紙に「殴り描き」が実現されるには、まず〈画用紙〉が、それの周囲、たとえば〈机〉に対して意識の前景に切り出され、それに対して机は意識の背景に退かねばならない。これをブリッチュは、イメージ(A)とその周囲、つまり背景(U)との切り離せない関係として捉えている。画用紙と机とのこのようなA−U関係が成り立つことで、初めて次に、殴り描きは画用紙の〈中〉に実現されることが可能になる。このようなイメージ認識におけるA−U関係が働かないなら、殴り描きは、偶然に画用紙の外へと流れ出していくだろう。…
ブリッチュは、このようなA−U関係において成り立つイメージ構造化の事実を具体的に示す例として、「花束をテーブルの上に置く」という、私たちにとってきわめて日常的な行為に眼を向ける。それによって明らかになるのは、この一見何気ない行為さえ、〈芸術(アート)〉と呼びうる、ということだ。
〈誰かが、花束を一つ、何も置いてないテーブルの上に置くとしよう。しかもこの人が、この花束をたとえばただ通りすがりにポイと置き、すぐまた取り上げるというのではなく、それをテーブル上に置くということを意識して置くとしよう。このときこの人は、多くの場合があるが、テーブルの真ん中にそれを置くだろう。なぜなら、この人は置くということで、何か意識されたものを実現するからだ。つまりこの花束がそれである。そしてこの意識されたものが実現されうるのは、それが意識されない周囲から際立つようにされること、つまりテーブルが花束に対して意識されない、顧みられない、関心を引かない(=等価な)周囲になること、このことをとおしてのみである。…われわれは、限界づけられ、広がりをもつ、与えられた色区画(テーブル)を、Aの意味をもって成り立つものとしての花束に対する、Uの意味をもたされた周囲としてもつのだ。この色区画(テーブル)自体、一つの実現された成分Aであり、それは判定された境界と、それとともに広がりをもっている。この成分Aが、花束という別の成分Aに対してUとなるべきとき、それは花束にとって顧みられない、関心を引かない周囲にならなければならない。だから、花束を真ん中に置くということは、花束に対してテーブルを、(言葉の完全な意味での)等・価な(=関心を引かない)周囲にすることに他ならない。それによって、置かれた花束は、一つのAとして意識されたものの実現になる。これは、どこかにポイと置かれた花束とは異なる。そのような置き方では、眼に関する如何なる意図も実現されなかった。Aとして意識されるものと、Uとして意識されるものとの協働から、初めて意識されたものの意味は生じることができる。(Britsch, pp.29f.)〉
「花束を置く」という、この単純な行為においてさえ、「置く」ことが意識されたときと、そうでないときとのまったくの違いが生じている。ただ何気なく置く場合、花束は偶々近くにあった何物かの上に置かれ、その置き方も偶然だ。そこでは意識にぼんやりと何かが他の物から浮き上がっており、このぼんやり浮き上がったものをUとすることで花束Aを置くことが「実現」されている。すなわち、ぼんやりしたUに対しては、Aもまたぼんやりとしか意識されず、花束がテーブルのどこに置かれるかは無規定だ。そこではA−U関係の論理が曖昧なままに終わる。これがたとえば〈放心〉である。恐怖、悲嘆、焦燥、あるいは心の病、といったことから生じる〈放心状態〉、さらには薬物を利用して意図的に生み出される〈放心状態〉は、日常意識における細やかなA−U関係(前景−背景関係)の崩壊、あるいは混濁となって現出する。アートはさまざまなかたちで、意識的にせよ無意識的にせよ、この論理を適用することで〈放心状態〉を表現してきたし、また私たちもこのイメージの論理に従うことで、芸術においても日常生活においても〈放心状態〉という〈精神的意味〉を理解できる。
これに対して「置く」ことが意識される場合には、たとえば花束がテーブルや台の上に、〈贈り物〉や〈捧げ物〉として置かれる場合には、花束の置かれる場所ははっきりと意識されている。そしてこの意識Aが実現するのは、それの「周囲」(U)となるテーブルや台が、まず花束Aの前提として、花束を置く以前に、一定のAという意味を得て、他のものから区別されていなければならない。これによって初めて花束Aをテーブルや台の特定の場所に置くことが可能になる。この特有の論理に従うことで、初めて〈精神的意味〉(愛、崇拝、追悼など)は、視覚的に表現可能になる。「情報のトップダウン処理」(例えば「追悼のために花束を棺の前のテーブルに捧げよ」という指令)は、まさにこの「イメージ構造化」の「技法」に負っているのだ。
「花束を特定の場所に置く」ということが実現するにも、二重、三重の視覚的思考の分節、分化(差異を生み出す働き)、イメージ相互のA−U関係の重層化された論理が関与し、この行為を支えている。少なくとも、〈部屋〉(A1)の視覚意識に支えられて〈テーブル〉(A2)の視覚意識は実現され、そしてこの〈テーブル〉(A2)の意識に支えられることで初めて〈花束〉(A3)の視覚意識は実現される。…視覚的思考の進展、分化に伴って、Aはそのつど次のAを可能にする土台(U)として、Aとの関係を保ちつつ意識の背景(記憶)へと退いていく。物をどこに置くかという、この最も単純な行為において、すでに「芸術(アート)」的思考は始まっている。…
一つのイメージAを経験の対象として「実現」することは、多くの過去(それまでに取捨選択されたAの連鎖)に担われており、また多様な未来(今のAを起点として見えてくるであろう多様なAの可能性)を孕んでいる。この連関の中でAの意味は理解(誤解)され、理解(誤解)をとおしてさらに変化していく。「誤解される」というのは、Aを理解しようとするそれぞれの人間が、それぞれの過去の多様に分化したA−U(意味・無意味)関係に支えられることで、当のAの理解を試みるしかないからだ。だから絶対的に客観的な理解などないし、同時に絶対的に確実な主体などありえない、ということになる。…
私たちはここで一度日常の経験に戻り、講義を聞きながらノートをとるという行為を思い浮かべてみよう。まず君は、教室に入って特定の席(A1)につく。このとき教室は席に対するU1となっている。当然、この教室は、君がそこへと向かって歩いているときには、他の教室(U)に対してAの意味をもっていた。さて、教室に入って、席の机の最も書きやすい場所にノートが置かれ(A2)、ふさわしい箇所が開かれる(A3)。講義の開始とともに、ノートが横書きの場合、左上隅に特定の文字が書かれる(A4)。この最初の文字に従って、君のノートは速やかに書き進められてゆく(A5、A6、A7、……)。文字の大きさも作用する。一つの文字の大きさが次の文字の大きさを決定するからだ。ノートの罫線の果たす役割の大きさがこれによって理解されるだろう。罫線とは、ノート(U)に対するAであり、このAに従うことで、つまりこのAをUとすることで、次のA(文字)を書くことが円滑に進んでいく。ここには、すでに第一章でみた、単純なイメージとしての〈線〉のもつ、驚くべき力が働き、君の思考を導いていることがわかるだろう。罫線は、文字の大きさと方向にも力を及ぼす。こうして、ノート全体にイメージの論理が行き渡り言葉が「実現」されることで、ノートは後から読み直し、講義を反省できるし、また他人にも利用できるものとなる。試験前にノートの貸し借りができるのは、こういったイメージ構造化の論理を君たちが共有しているからだ。A−U関係にイメージの論理的一貫性がなくなるなら、後からの読み直しは不可能になるだろう。この破綻、それは講義が退屈で居眠りしたときにも、何か別のことに気を取られて耳が疎かになったときにも、あるいは心身が病んで衰弱し、幾ら努力しようとしても一貫した思考が保てなくなったときにも起こってくるだろう。聴覚もまた、音のA−U関係に支えられて意味を聞き取っている。この関係が破綻し、聴覚からも視覚からも関係思考が薄れていくと、そのとき文字は、次第に明確なかたちをもたず、うねうねと流れるような線へと溶解し、書かれる線は罫線をはみ出し、あてどなく紙面をさまようことになるだろう。
このように、私たちの思考は、いつの間にか身につき、自然となったイメージの構造化の論理、A−U関係の論理に従って動かされている。しかも、UとAとは、変換可能だ。だから私たちは、書かれたノートから、時に応じて別の意味を見出すことができる。ブリッチュは、「視覚体験の精神的加工」としてのこのA−Uの論理が、造形芸術のプロセスに考察を加える際の決め手になると考えている。私たちが、日常生活でさほど気にとめることなく行なっていることは、実はこれまで見てきた意味と無意味との感覚的な関係の論理、イメージのダイナミックな論理に支えられて成り立っている。(岩城 2001、p.337以下)〕

「行動障害」においては、外界は「意味なくうごめき予期できない世界」となって現われる。すなわち「行動障害」者は外界や他者を明瞭に分節化された世界として形成し直し自己のものにすることができず、いわば濁流に飲み込まれて溺れもがくような状態になる。「自傷」や「他傷」によって残されるひどい傷は、そのような濁流の中でなにかを掴んでいたいという「もがきの痕跡」として残ったものだろう。だがこのような状況においても、すでに「意味」と「無意味」、「意識されたもの」と「意識の背後に退くもの」との関係、要するにAとUとの分節は生じている。「外界」や「他者」は、「よそよそしい意味」、「恐ろしい意味」、「避けるべき意味」をもつAとして襲い掛かってくるからだ。このとき安心を与えてくれる自分の家や家族は、A(無意味としての意味)に対するU(本来の意味)になっている。たとい「自傷」や「他傷」等々の行動、あるいは「目を閉ざしたり」、「人にしがみついたり」、「嘔吐」したりといった行動の場合でも、意味の分節は行なわれている。ただここではA−U関係が固まってしまっている。本来のA(意味としての前景)−U(無意味となった背景)関係では、AとUとは自在に交換可能なのに、これが交換不可能になっているわけだ。これが過度の「こだわり」、「特定の行動の繰り返し」の理由である。それにもかかわらずまず大切なのは、この状態でも「表現能力」(A−Uの分節能力)は働いているということ、このことを理解することだろう。
重度の器質障害でほとんど意識の働かない状態では、A−Uの分節活動、要するに「表現能力」も阻害されるだろう。このときには現われてくる世界すべてが流れ去るままになるだろう。そこにあるのは厳密には「今」とも言えない「今」の流れだけだろう。これが「今」とは言えないのは、ここには「過去」−「現在」−「未来」の分節が欠落しているからだ。
これに対して意識の「前景」と「背景」、「意味されるもの」とそれを意味として浮き上がらせることのできる「無意味」という、意味の「周囲」、このA−U関係が成り立っているなら、そこを基点(土台)としてさらに進んだより細やかなA−U関係が、空間的にも時間的にも生まれ、行動は別の姿を取ってくる可能性をもつことになろう。
上に見た「行動的アプローチ」における「空間構造化」と「時間構造化」とは、行動障害」の人が空間的、時間的なA−U関係の「表現技法」を身につけるための試み、支援だったと言えるだろう。
「ユキさん」は常に駅の「プラットホームの停止線の前」(A)に立つことができ、「ハンナナ」(A)と叫ぶことができ、到着するまで「トイレ」(A)に居ることができた。かれは毎日自分の安定した場所(A)を他の場所(U)から区別しそれを保つ能力をすでに身につけていたのだ。たとい人には「異常」に見えても、「ユキさん」には「表現能力」が備わっていたのだ。この能力が基礎になるから、「ユキさん」はカレンダーを記憶して自己の行動をそれに従って秩序づけることができるようになり、「年賀状」を作って出すまでになった。かれはA−U関係という表現の論理、この安定した行動の枠組みを学び身につけることで、「行動障害」の状態から自らを救い出す術を手に入れたのだ。
「表現の論理」としてのA−U関係の細やかな進展は個人にはじめから具わった潜在能力が自ずと発展して実現するのではない。「表現の論理」は他者の表現に触れ、それを見よう見まねで学び、自分の身につけてゆくことで進展する。「領分を築く」ときの他者関係の重要性はここにあるはずだ。他者を模倣しつつ自分のものにしてゆく「表現の論理」、これが次に世界を秩序だったかたちで整理し我がものにするときの枠組み、土台になる。この枠組み、土台を身につけるために、「行動障害者」にとって支援者は模倣の手本になる。
「ナオさん」はデイサービス施設の職員が提供してくれた所作を真似ることで次第に居場所(A)を移し、終に施設内の一箇所に場(さらに進んだA)を築いた。与えられた絵入りの「スケジュールカード」は、それが学ばれ身につくことで、「ナオさん」の行動をさらに秩序のある、しかも多様に展開できるものにすることができたのだ。このときには、かつて「よそよそしいもの」として現われた世界は消えはじめ、明るい分節化された世界に変わってきているのだ。
「リク君」の場合も、支援者や兄姉が与えた様々な行動の手本が真似られ、自身の「表現論理」となって身につくことで、「言葉」の習得にまで進んだのである。
私は「表現論理」に関して「身につく」という言い方を繰り返してきた。他人の表現を学びそれを身につけるということは、その論理が自己にとってものごとの整え方、見方、理解の仕方となってほとんど自動的に働くようになるということ、つまり自然になるということだ。これが「第二の自然」と呼ばれる「習慣」のあり方だ。「表現」はこのような「習慣形成」に深く染み込んでゆく。というよりも「表現活動」を欠いたら「習慣形成」は不可能になるだろう。しかも「表現論理」は、私たちそれぞれが自ら学ぶことによってはじめて身についたものになる。だから支援者はそのような表現論理の働くきっかけや、手本の提供者、表現の素晴らしさを自ら示してそこへと誘う者、誘惑者であり、表現するのはあくまで本人でなければならない。「教育」の要点もここにあるだろう(岩城 2007)。

3. 表現論理の毀損と崩壊

「表現論理」が人間の内部に浸透し行動の基本的枠組みになっている。これを理解する上で、この論理の毀損や崩壊の際に生じる行動が参考になろう。ここでは、「脳梗塞」と「アルツハイマーによる認知症」に関する研究報告を見ておくことにする。
一つは「左側頭葉障害による漢字の失読失書」の例だ(松田他 1997)。
大学卒の59歳男性(「KO」氏)は、1994年12月19日午前2時頃排尿のために目覚めたが、時計の数字が読めず、それ以外の文字も読めなくなっており緊急入院した。保存的治療後も回復せず、10日後にこの報告書作成者の勤務する病院の神経内科に転院した(p.20)。
様々な検査の結果、この報告の最後に患者の症状が推定されている。それによれば、MRIで確かめられるような完全な梗塞ではないが、「急性期のダメージによる神経細胞の脱落や、さらに遅発性細胞壊死の機序も加わって、病変部位の症状が固定してしまった」症例であり、しかも病巣は「比較的広範な部位におよぶ」(p.27)。
このとき生じたのは特殊な「失語症」であり、それが報告書のタイトルになっている。「〈手〉と〈紙〉は読めても〈手紙〉は読めない」。
言語・記号に関する様々な検査結果が報告されている。「自発語は構音障害なく流暢」、「失文法や錯文法」なし、「聴理解、復唱も正常」だが、「数字、仮名、漢字全てに」「失語」が認められ、「〒や¥などの記号の認知も不能」、「数字や仮名の書字は比較的良好」だが「漢字はほとんど書けなかった」(p.21)。その後の「経過」を見ると、「翌年1月初め頃からまず記号の認知が改善し次いで数字の読み、仮名の読みの順に改善が見られ、1月中旬にはほぼすべての仮名の読みが可能となり、漢字も高頻度使用文字についてはやや改善がみられたが、以後ほとんど改善がみられなくなった」。「呼称障害は順調に回復し、1月下旬にはほぼ順調に回復した」(p.21)。
ここから、KO氏は言語・記号能力のうち、漢字に関する失語が顕著な症状だということがわかってくる。こうして「漢字失読」が細かく検討される。
まず「失読」検査で分かったのは、仮名に関しては一文字、単語、三文字の「無意味綴り」も「全問正当」だが、漢字に関しては小学校1年生履修の66文字中、音読での正解55文字、2年生履修の145文字での正解62文字であり、日を改めての二回目の検査でも結果はほとんど変わらなかったという。「書字」に関しても仮名や数字は正常だが、漢字は「自分の姓以外」すべて書けなかった(pp.22-23)。
次いで「漢字熟語」の読みが検査対象になった。検査から、漢字一文字が読めても、それが熟語になると読めないという結果が出る。先のタイトルはこの検査から取られたものだ。「手紙」という漢字を見て、KO氏は「上はテ」、「下はカミ」だが「二つではどう読むか分からないし、意味も分からない」と答えており、また「日本」や「中国」も読めず、また意味も理解できない(p.23)。逆の場合もあった。「時計」「幸福」「新聞」は読めるが、「計」「福」「新」は一文字では読めない(同)。「実在文字」と、それに似ているが正しい漢字ではない「非実在文字」を混ぜて見せた検査では、読める漢字のみ正しく判断でき、他は「あるかどうか分からない」という答えがなされている(p.25)。
これらの検査から「漢字熟語の認知が構成漢字とは別の単位で行われていることを根拠づけている」という所見が出され、これが「重要」だと記されている(p.25)。この指摘が重要と見なされるのは、漢字熟語の読解が脳の特殊な働きに支えられていることが予想されるからだろう。この点に関する報告者の推定は以下のようなものだ。
「本例の漢字失読では、個別の漢字がもつ一定の視覚形態が、本来引き起こすべき神経ネットワークの活動をまったく引き起こせない状態になっていると考えられる(p.26)」。このことは「文字コードそのものが不安定化している可能性が高い」ことを示す。このときの「文字コード」とは、「脳内辞書に蓄えられた視覚記憶心像と考えられるので、漢字や漢字熟語に限定された視覚記憶心像の喪失や不安定化が、本例の病像の中核であると考えられる」(同)。しかも、病変が固定した部位に確定できず、「比較的広範に及んでいる」ことが推定されることから、「漢字の視覚記憶心像」は「脳の一定の部位に鋳型のように蓄えられているのではなく、広範な神経ネットワークの活動興奮の波及のなかで、特定の興奮パターンとして捉えられる性格のものであると考えられる」という結論が出される(p.27)。
「漢字」は高度な「視覚記憶心像」に支えられている。このことは私たちが漢字を習得したときのことを思い出せば理解できよう。複雑な漢字のかたち(イメージの組み合わせ構造)は、見ながら書く行為の中で、自らの「視覚心像」となって記憶され、それらの結びつきのネットワークが形成されてゆく。文字学習において「筆順」が重視されるのは、「イメージの構造化の規則(表現の論理)」が自動的に働くようにするためなのだ。まさに規則を「身につける」ためだ。
高度に発達した文字である漢字の書字訓練を通して、いわば漢字の「ネットワーク」が形成され、これが自ずと働くようになることで、私たちはある音(オン)を聞けば、それに合った「漢字」を思い浮かべることができるようになるし、あるイメージを見たら、それが「漢字の一つ」だと判断できるようになるのだ。KO氏は、示されたイメージが他のものではなく「漢字」だろう、ということは判断できた。だがそれが「なんという漢字か」ということに関しては、特に熟語に関しては判定できない状態になったわけだ。
こどもが表現を通して次第に形成してゆく神経ネットワークが、KO氏の場合には欠損してしまった、つまり「表現論理」の一つの側面が失われたのである。私にも似たようなことが起こっている。コンピュータに慣れたことで私の漢字の書字能力は確実に劣化している。外部化された辞書に頼ることで、「脳内辞書」が次第に働かなくなっているのだ。
「アルツハイマーによる認知症」に関して67歳男性(「T.S」氏)の症例報告を参照したい(1996年に公表された研究報告では、「アルツハイマー型痴呆」という表記になっていた(松田他 1996))。67歳男性、「T.S」氏は、64歳の頃から「次第に会話が通じにくく」、物忘れが目立つようになり、近医により「アルツハイマー症の疑い」と診断され、通院するが言語障害が進行し、決まり文句(「おいでやす」、「おおきに」等)以外家族にも理解できなくなった。T.S氏が報告者の所属する神経内科を訪れたのは1993年、67歳時である。身体的異常はなく、自動車も運転でき(やがてこれも危険になる)、日常行動には異常はないが、「ごく一部の動作命令」以外は「全くコミュニケーションが取れない」状態だった。
言語能力はまったく失われており、CT、MRIでは、「中程度の全般的脳萎縮」、「左半球」に「やや強い」と考えられる「萎縮」が見られた。報告で示されている会話例を見ると、有意味の語句はほとんどなく、「空語句とその一部の音節の繰り返し、すなわち語間代が前景を占める発話」になっている(pp.54-55)。ここから出された診断は以下のようなものだ。
「健常者が既知の言語を発語する際には、単語を構成する音韻系列はすでにパターン化され、これに対応する発語の神経機構を用いていると考えられる。これに対し本例では、発語できる語彙目録は神経系からほぼ消失しており、…保存された音韻産生メカニズムがat random に日本語らしき発語を産生していると想定される。…言語機能的には末期に近いと考えられる(p.57)」。
この例からも、それまでの長い経験を通して蓄えられ身についた、つまり「神経機構」になった表現の枠組(「表現論理」)が、脳の器質障害が生じたことで崩壊してゆく過程が見て取れるだろう。
ただここで注目したいのは、このような「表現論理の崩壊現象」だけではない。「アルツハイマー」による認知症に見られる「語間代」の頻発の理由を探求しているこの報告書では中心テーマにならなかったが、初診時T.S氏は、言語コミュニケーション能力はすでにまったく失われていたのに、検診室の出入りのときに「挨拶らしき言葉を発し、丁寧にお辞儀をする」と報告されている(p.54)。ここから推定されるのは、言語の現勢的なコミュニケーション機構が崩壊した場合でも、なお深いところで「表現論理」が働き身体所作を導いているということだ。だからT.S氏は、この身につけた表現論理に従って、「挨拶」や「お辞儀」が他者に対してできたのだ。
「表現論理」は身体の奥底、記憶の深層にまで浸透し、個々人の行動を支えている枠組み、それも他者を模倣し、他者を予想しつつ形成された深層文化的枠組みであり、また文化の枠組みを深層で形成してゆく働きなのである。現在的な知覚や記憶の機能が失われたときには、奥底に眠っているこの深層文化的枠組みが行動を支えるために浮き上がってくるだろう(この点については岩城 2001、p.276以下も参照)。

結語

今、CT、MRIをはじめとする検査機器開発の発展によって、また遺伝子研究の進展と共に、「自閉症」、「知的障害」、「アルツハイマー」、「脳梗塞」等々、様々な障害における器質疾患の部位や原因が細かく研究されている。だがそのような研究成果では説明できないことの方がまだ多いだろう。しかも、このような研究において最終的な鍵となるのは、被験者がどのような反応を見せるかという、まさに「表現論理」の現われ方なのだ。この「現われ(現象)」を「分析」し、その原因や原因箇所を「推理」することで、はじめて医療の方法や医薬の進展、医療機器の改良は可能になるのだ。

「生存のエシックス」は「表現論理」と深く関わっている。「表現活動」を全面的に受け持つ「アート」は、その意味で「生存のエシックス」の担い手であり、生存の作法の提案者、様々な視点から人々を生存の作法へと誘う「知的誘惑者」なのだ。
「美術館」は、そのような「知的誘惑」の多様に繰り広げられる場、多様な「誘惑術の深層文化」を保存し整理して見せ、それについての反省とそれをめぐる議論へと私たちを誘う場なのだ。そのような誘惑の場として、「美術館」も「生存のエシックス」と深く関わっている。

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引用文献:
片岡基明『行動障害から人間を考える――〈領分〉を築くということ』北大路書房 2010年
松田実、中村和雄、生天目英比古、鈴木則夫「著明な語間代を呈した左半球優位型の変性型痴呆の1例」『神経心理学』第12巻第2号 1996年
松田実、生天目英比古、中村和雄、鈴木則夫「〈手〉と〈紙〉は読めても〈手紙〉は読めない――左側頭葉障害による漢字の失読失書の1例」『『神経心理学』第13巻第4号 1997年

参考文献:
岩城見一『感性論 エステティックス――開かれた経験の理論のために』昭和堂 2001年
岩城見一『〈誤謬〉論――カント《純粋理性批判》への感性論的アプローチ』萌書房 2006年
岩城見一「〈子ども〉における表現技術の伝播――ヴィジュアル・エデュケーションの視点から」『子ども』哲学会編 有斐閣 2007年