『「学校へ行く」とはどういうことなのだろうか』書評


●悠 2000年3月号 「学校へ行く」とはどういうことなのだろか
書評より抜粋

 私は『買ってはいけない本』を書いた著者のFを知っています。そのFを信頼している編集者が,「日垣は頭が変だ,とFさんがいった」というのです。でも,日垣さんは自分の目と足で観察,調査したものを土台に書いてきました。それが「インベスティゲイティブ・リポーティング」(調査報道)という手法で,むしろ,何を書こうとその徹底ぶりがすごいのです。この手法では,予断を持って臨むと,著者本人にきついしっぺ返しがやってくる仕組みになっています。
 だから,日垣さんは,学校問題を「管理=諸悪の根源」などという抽象枠でとらえず,事象(事件)の多面性の一つ一つを丹念に取り出し,当事者たちが努力すれば解決可能な方途を探索します。現実を善と悪に裁断せず,しかし,よりどちらに大きな原因と責任があるか,を問います。
 日垣さんの「解決」法の説得力は,つねに実現可能な要求にあります。問題の根源を制度や構造にあると指摘しながら,問題の解決を拒む「過剰な集団」志向や「単一機能」志向から抜け出て,「適度な個人志向による創造的営み」に期待をかけるからです。とくに,南安曇農業高校の実験のように,学生に学ぶ必要と喜びを喚起させた教師自身の過度とも思える学ぶ姿勢の強靱さを浮き彫りにします。
 学ぶことが,学問が必要である,しかも面白い,ということを教師が学生にほんのちょっとでも実感させることができたら,学校教育は「成功」でしょう。日垣さんの学校批判は,この単純かつ根源的な「学」のありかたを一貫して訴えているのです。(鷲田小彌太)

●読者の声●57歳
 公平な目で,幅広く細やかな心づかいで書いておられるのに感激いたしました。

●読者の声●38歳
 今まで読んだ教育本の中で一番まともな事と思う。